今回は、どのような段階を踏んで愛犬のペットロスから立ち直っていくのか、というプロセスを中心に、昨今問題になりつつある高齢者のペットロスについても触れておきたい。
1.悲しみから立ち直るためのプロセス
2.気持ちを押さえず、素直に表現することが大切
3.周囲の人々からのフォローの方法は?
4.立ち直りのプロセスは往復することも
5.高齢者のペットロスを真剣に考える
悲しみから立ち直るためのプロセス
第一段階 ショック・事実の拒否
愛犬が亡くなったことによってショックを受け、死んだという事実を信じたくないという時期。とりわけ、事故などで予期せぬ死を迎えてしまった場合などの時は、その事実をすぐには受け入れることができず、この段階が長引くことも多い。
第二段階 極度の悲しみ・絶望
この段階で大事なことは、愛犬を失った悲しみの気持ちを素直に表現することである。自分の気持ちを十分に開放できないと、立ち直りがうまくいかなくなることもある。悲しいということを口に出せる環境が必要であり、周囲もそれを理解する意識を持ちたい。
第三段階 回復期
深い悲しみの底からは抜け、愛犬の死を少しだけ客観視できるようになれば、回復期に入る。ここでの課題は、愛犬がいない環境に適応することだ。亡くなった愛犬が少しずつ思い出へと変わっていき、頭の中での整理が進みつつある状態である。
第四段階 正常な生活への復帰
亡くなった愛犬が完全に思い出という形に変わり、その愛犬の居場所を自分自身の中に作れるようになれば、この段階である。つまり、悲しみがすでに過去のものとなっているということだ。新たに犬を飼うということについても、積極的に考えられるようになる。
気持ちを押さえず、素直に表現することが大切
愛犬を失った時にまず訪れるのは、悲しみの感情だ。その大きさは人によって異なってくるが、悲しいという気持ちが生じて来る限り、それがペットロスであるということは、前回(愛犬を失う悲しみ。誰にでも訪れるペットロスを克服するために(1))で詳述した。
では、愛犬を失った悲しみの気持ちはどのように変化していき、最終的に正常な日常生活に復帰していくのか。それが立ち直りのプロセスだ。
第1段階では、愛犬を亡くしたことによって起こるショック、そしてそれらの事実を拒否する気持ちが表れてくる。愛犬がいなくなってしまうなんて信じたくないが、現実には愛犬はもういない。ここでは、愛犬が亡くなったという事実を受け入れることが最も大切なことだ。
何か形のあるもので愛犬の死を現実のものとして受け入れ、自分を納得させるという方法は効果がある。通夜や葬儀を行うというのは方法のひとつ。また、時間の経過が死を受け入れさせるという例も多い。
眠れなかったり、食べられなかったりするのは一体何が原因なのか。これを自覚できているかいないかは、とても重要。悲しかったり、つらかったりという状況を認めることが必要。日常生活に支障を来さない範囲であれば、とくに問題はない。
第2段階では、悲しみはピークを迎え、人によっては絶望的な感情に襲われることもある。その悲しみを、内に溜め込むことなく、素直に表現することが大切。悲しみの気持ちは抑えない方がいい。この段階で自分の気持ちを十分に開放することができないと、立ち直りがうまくいかなくなることも。
なので自分の気持ちを開放させるためには、悲しいという気持ちを言えることができる環境が必要となる。家族に話せれば一番いいと思うが、家族間に温度差がある場合には、逆効果になることもある。愛犬を通した友人を作っておけば、気持ちを開放させる機会が持てる。
さらに、多頭飼いをしている場合は、この悲しみを軽減させる効果がある。残っている愛犬に自分の気持ちを話すことで、気持ちを開放できる。話し相手は人でなくてもいい。
もう一点、男性は悲しみの気持ちを表現することがあまり上手ではないようだ。男性は、そういう気持ちを表に出すことを良しとしない、という風潮がある。特に日本ではそうではないだろうか。なので、想像以上に愛犬を失った悲しみが大きくても、それを表現できない。ここに戸惑いが生じてくることがある。
第3段階は、回復期。愛犬を失った悲しみの底は抜けた、という段階だ。愛犬がいなくなったという現実を、少しではあるが客観視できる状態。その上で、愛犬のいない環境に適応することが課題となる。具体例を挙げれば、愛犬との散歩のコースを一人で歩けるようになったり、かかりつけの動物病院の前を通れるようになるということ。
これは簡単なことではないだろう。愛犬との思い出がいっぱい詰まっている散歩コースや、病気の時にお世話になった動物病院を目の当たりにするということは、愛犬の死を消化できていないとなかなか難しい。散歩コースに行けば、以前の散歩仲間の飼い主に声をかけられるかもしれない。その時に、愛犬が亡くなったという事実を素直に伝えることができるようになれば、ひとつハードルを越えられたということだろう。
周囲の人々からのフォローの方法は?
【助けになること】
・悲しい気持ちを話すように勧める
・ゆっくりと悲しみの時間を持つように勧める
・ペットの死について率直に話したり、質問したりする
・共感し、気持ちを表現する
【助けにならないこと】
・同情や決まり文句のお悔やみを言う
・他のケースと比較する
・叱ったり、説教したり、元気づける話をする
・他のことで気を紛らわすように勧める
・他の動物を飼うように勧める
立ち直りのプロセスは往復することも
最後の第4段階は、正常な日常生活を取り戻すことである。亡くなった愛犬の居場所を自分の中に作ることができるようになること、つまり、愛犬のことが思い出として心の中に存在するようになれば、ペットロスを克服したと言える。
愛犬を失ったという悲しみがこの時点で過去のものとなり、その経験を他の人に話せるようになれば、もう大丈夫である。新たに犬を飼うことに対しての罪悪感もほとんどなくなり、新しい生活への一歩を踏み出せるようになる。
もちろん、亡くなった愛犬をすっかり忘れてしまうということではない。それは思い出という形となって、心の中に、あるいは記憶の中に永遠に生き続けるのである。
生きていた時の関係が密であればあるほど、思い出という絆は太く、強くなるはず。愛犬が死んだという事実よりも、愛犬はある時期確かに生きていたという事実の方が大切に思えるようになる。自分の人生のある時期に、この愛犬と一緒に暮らし、そして愛犬が自分を高めてくれたり満たしてくれたことが多ければ多いほど、大きな思い出として残っていく。
この子と一緒にいて良かった、と思うためには、生きている間の生活を悔いなく過ごすことが大切なのだ。みなさんも愛犬と暮らす「今」を大切にしてほしい。
さてここまで、ペットロスから立ち直るためのプロセスを追ってきたわけだが、すべての人が必ずしもこの段階を順番に辿って回復していくわけではない、ということを是非とも頭の中に入れておいていただきたい。
第1段階から第4段階まできれいに流れていくことの方が稀だと思った方がいい。各段階を行ったり来たりすることは多く、一気に回復したかに見えたのに、また初期段階に戻ってしまうという例もあある。人と会って話をしている時は悲しみを忘れて元気でいられたとしても、一人になった時に大きな喪失感に襲われるということもあるのだ。
人の気持ちは繊細で曖昧な面もある。だから、昨日大丈夫でも今日は駄目、ということがあっても不思議ではない。時に一進一退で、時にスパイラルを描きつつ、ゆっくりと回復していくこともあるだろう。あるいはめまぐるしいスピードでペットロスを克服してしまう人もいるかもしれない。それは人それぞれなのだ。余程深刻な状況に陥らない限り、自分のペースで立ち直っていけばいいのではないかと思う。
高齢者のペットロスを真剣に考える
高齢者のペットロス、という問題が顕在化しはじめてきている。若年層、中年層のペットロスとの違いはどんな点にあるのか。
高齢者にとって動物は、唯一の話し相手であり、自分が面倒を見てあげる相手であり、自分を頼りにしてくれる存在であり、ぬくもりを与えてくれる存在であったりする。老夫婦二人で暮らしていたり、あるいは配偶者をなくして一人で暮らしている高齢者の場合は、動物の果たす役割はさらに大きくなると思われる。それだけに、動物を亡くした時の落胆も大きいだろう。
高齢化社会という言葉はすでに定着している感がある。そして衰えないペットブーム。これらの要素が重なり合っている現代の日本社会にとって、高齢者とペットとの関係についてはもっと議論されなければならない重要な課題と言っても過言ではないだろう。その中でもペットロスほど、高齢者に与える打撃の大きなものはない。
それでは、高齢者がペットを失うということの意味を考えてみたい。
リタイア後の高齢者は、一緒に暮らす動物によって一日の生活のリズムを維持していることが多いという。食事の世話や散歩などで、生活のペースが保たれている。また、動物病院に連れて行ったり、散歩の途中で他の飼い主と話をしたりすることで、社会的な活動の幅が広がるということも多い。なので、高齢者が動物を失うということは、単に家族を失うということだけではなく、生活のリズムが狂い、社会との接点を失うなど、生活に大きな影響を与える可能性がある。
とりわけ、愛犬がいたことで話をする相手が存在していた、という点に注目したい。若い世代や働き盛りの世代であれば、犬を通した社会以外にも多くの社会に属しているが、高齢者の場合は犬を通した社会がすべてであることも少なくはない。極端に言えば、犬を失うことで社会とも断絶してしまう可能性があるのだ。
同様に、犬の世話をすることで、自分は何かのために働いているという責任感や喜びを得ているわけだが、それも失われてしまう。そうなると、自分の存在意義さえなくなってしまったかのように思ってしまう人も出てくるだろう。愛犬を失うことで、高齢者は自分の心や体の健康を蝕まれてしまうこともあり得る。
独居老人の場合は、話し相手は動物だけということも少なくない。配偶者に先立たれ、愛犬と自分だけが後に残ったというような場合には、愛犬の死に伴い、配偶者の死も思い出され、ショックは非常に大きなものとなる。
高齢者の場合、新たな動物を迎え入れることで喪失感を軽減するという方法を選択するのは簡単ではない。動物よりも高齢者の方が先に亡くなってしまう可能性も高いからだ。残された動物はどうなるのか、ということが問題になる。
高齢者が動物と一緒に暮らすということの効果はとても大きい。しかし、残された動物を誰に託すのか、という問題がそれを難しくしている。なので、高齢者が新しい動物を迎え入れる環境を整えることが重要。残された動物を引き取るのは行政なのか、地域や民間なのか、離れて暮らす子供なのか、越えなければならない壁は高く大きい。
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Shi‐Ba vol.53『悲しみの形は人それぞれ ペットロスから立ち直るプロセス』より抜粋
※掲載されている写真はすべてイメージです。